この記事を監修したのは
小西行郎先生
日本赤ちゃん学会理事長/小児科医
2001年赤ちゃんをまるごと考える「日本赤ちゃん学会」を創設。2008年10月1日より現職。主な著書に『赤ちゃんと脳科学』(集英社新書)、『赤ちゃんのしぐさBOOK』(海竜社)、『発達障害の子どもを理解する』(集英社新書)、『はじまりは赤ちゃんから』(赤ちゃんとママ社)他。
ベビーを抱かない野生の動物
ベビーを抱っこしたり、添い寝をしたりするとき、柔らかい肌と肌が触れ合って、ママとベビーの優しい時間が流れます。子育てに大切な「抱っこ」という行為、じつはヒトだけの行動なのです。
「でも、お母さんザルが赤ちゃんザルを抱っこする姿を、テレビや動物園で見かける」と思う方もいらっしゃるでしょう。たしかに、母ザルが子ザルを抱っこしているように見えるシーンもありますが、ヒトの抱き方とはちょっと異なります。
ニホンザルとチンパンジー、オランウータンなどは、母親が意図的に抱っこしているわけではなく、赤ちゃんのほうから抱きついています。赤ちゃんザルは、母親にしがみつく習性を生まれつきもっているのです。
抱き方の違いをもっと具体的に見ると、ニホンザルは、まったく赤ちゃんザルを抱きません。母ザルは、赤ちゃんザルの下に手を添えることもせず、かなりの速さで走ります。それでも落ちないほど、赤ちゃんザルは相当強い力でしがみついています。
人間にもっとも近い、霊長類のチンパンジーは、一見、抱いているようなしぐさが見られます。京都大学霊長類研究所で飼育されているチンパンジーのアイは、しがみついている赤ちゃんに片手を添えて歩きます。座っているときは、人間のお父さんがあぐらをかいた足の間にベビーを入れるのと同じような形で、軽く手で支えるようにしています。しかし、いずれも手だけで抱っこをするということはありません。手のひらでしっかり抱いているわけではなく、赤ちゃんを支えているのは手の甲のほうです。
野生の生き物は、外敵に襲われたとき、赤ちゃんを守りながら急いで逃げなければなりません。手のひらを赤ちゃんのほうではなく、地面に向けているほうが、外敵から逃げるときにいち早く逃げる態勢に入ることができます。赤ちゃんはしがみつく力を発達させることで、自分の身を守ってきたのではないでしょうか。
一方、ヒトのベビーは、しがみつく力がまったくありません。ママが手を離せば、すぐに落っこちてしまいます。
こうしてみると、ニホンザル、チンパンジー、ヒトの決定的な違いは、「親が意図的に抱いている」かどうかにある、ということに気付きます。ニホンザルは「子が親にしがみついている」状態、チンパンジーは「親が支えながら、子がしがみついている」状態、そしてヒトは「親が抱かなければ、子は離れている」状態です。
親が子どもとの距離感を「選択」できるのは、ヒトだけです。親が抱けばベビーとの距離は縮まり、離せば距離は広がります。ベビーとママとの体の密着度は、ニホンザル、チンパンジー、ヒトと、だんだん少なくなっていきます。密着度が少なくなると、それを補うかのように、手と腕を使って抱っこするようになるわけです。
また、仰向けに寝かされた状態で安定できるのも、ヒトだけです。ニホンザルやチンパンジーの赤ちゃんが仰向けの状態でいるときの全身運動を調べてみると、ニホンザルは前肢、後肢ともに軌跡が不規則で、もがいている状態でした。チンパンジーの赤ちゃんも同様に、母親がそばにいないと安定した軌跡を示さないことがわかっています。
つまり動物の仰向けの状態は、母親が離れていると、かなり不安定だというわけです。ヒトのベビーは、しがみつく力を失った代わりに、親がいなくても安定する力を獲得したといえるでしょう。
ヒトの親と子はもともと離れた状態で存在し、いずれは完全に離れていきます。「抱く」「離す」という人間の親が獲得した選択肢は、育児にとって重要な意味があるのです。
抱き癖はいけない?
ベビーが泣くたびにママがベビーを抱っこすると、「抱き癖」がつくなどと言われます。育児相談でもよく寄せられる質問ですが、一般的な小児科医は、おそらく次のように答えることが多いでしょう。
「とくに第1子の場合、親も心配なのでベビーが泣くたびに抱っこをする。するとベビーは、ひとりで過ごす時間がなくなってしまう。そのうちベビーは自分のしたいことがわからなくなり、始終抱っこをねだる癖がついてしまう。だから、抱きすぎはよくない」といったことです。
それが正しいか、正しくないかはわかりませんが、私は、抱けるだけ抱けばいいと思っています。なぜなら、もし抱き癖がついたとしても、それは一過性のものにすぎないからです。20歳になっても親に抱っこをせがんでくる子どもはいません。抱っこは成長とともに消えていく欲求です。ですから、外来でこうした質問を受けると、「親バカで結構。どうぞ抱きたいだけ抱いてください」と言っています。
抱っこの要求と表裏一体なのが、「反抗」です。「魔の2歳児」といって、2~3歳頃の子どもは、ダダをこねたり、突然怒り出したり、親に反抗する姿がよく見られます。これは「第一次反抗期」と言われるもので、発達にとってはとても重要な意味をもっています。さっきまでうるさいほど親にまとわりついていたのに、何かの拍子に親に向かって「あっちに行って!」と突然怒り出す。かと思えば、友達や仲間と楽しく遊んでいた子どもが、用もないのに急に戻ってきてひざの上に乗り、甘えたりする。これは、反抗期の特徴的な行動です。
子どもは、親の愛情を確認すると、親から離れ、また広い世界へ飛び出していくことができます。反抗期に見られるこうした行動は、「愛情の確認」と「自立」を繰り返し行ないながら、少しずつ親から離れていく訓練をしているともいえるでしょう。
スキンシップのひとつであり、愛情を確認するための「抱っこ」は、子どもを親の従属物ではなく、親から離れて生きていける存在にするための過程として、とても大切な行為です。
生まれてきたベビーが「抱っこ」をしてほしい様子だったら、そっと抱きしめてあげてください。それは、人間の親だけに与えられた選択肢でもあるのです。