この記事を監修したのは
戸田さやか先生
臨床心理士/ブリーフセラピスト
主に行政機関で産前産後育児支援のほか、児童虐待や不登校、ひきこもり、発達障害などの相談・支援を行っている。
妊娠出産はたいへん喜ばしいことですが、同時に妊婦さんにとっては今まで経験したことのない出来事の連続。体も心もまるで今までの自分ではないような感覚になることがたくさんあるのではないでしょうか。そして、妊婦さんはちょっとしたことでイライラしたり落ち込んだりするものです。
特に妊娠後期に起きる心の変化や、イライラ・落ち込みとどう付き合うかについて、臨床心理士の戸田さやか先生に伺いました。
はじめまして、臨床心理士の戸田さやかです。
「臨床心理士」というのは、「臨床心理学」という学問をベースにして、悩んでいる方・困っている方のご相談に乗る“心の専門家”です。カウンセラーというとイメージしやすいでしょうか。
臨床心理士にもそれぞれ、得意分野や専門領域は色々あります。私の場合は主に公的機関で、妊娠出産、子育て、子どもの発達、夫婦関係、親子関係など家族にまつわるご相談をお受けしています。
普段は相談者さんと直接会ってカウンセリングをすることが多く、こうして文章で何かをお伝えする機会はあまりありません。実はけっこうドキドキしながらパソコンに向かっています。ここでは心の専門家として、みなさんに少しでも役立つお話をできればいいなと思っています。
ちなみに、臨床心理学には色々な考え方があります。例えば「気分が落ち込む」という問題ひとつとっても、解決するための考え方はいくつもあるのです。私がお話しすることが“絶対に正しい唯一の考え方”ではありません。私がお話しすることが、あなたにとってちょっとでも役に立ちそうだったら、どうぞ最後までお付き合いください。
後期に妊婦さんが抱きやすい感情の種類は
妊娠中に、体も心もまるで今までの自分ではないような感覚になるといった経験をした方は多いはず。とくにイライラや落ち込みはやっかいですよね。
こんな気持ちになることはありませんか。
□ 体が思うように動かず、歯がゆい
□ 何をするにも今までより時間がかかって情けない
□ やらなくてはいけないことになかなか手をつけられなくて自己嫌悪に陥る
□ 誰も手伝ってくれないと感じる
□ これくらいほかの妊婦さんはできているはずと自分を卑下する
□ 仕事や家事が思うようにできない
□ ちょっとしたことでイライラしてしまう
□ 自分の感情をコントロールできない
□ 気持ちをまわりがわかってくれないと感じる
□ 妊娠経過は順調でも自信をもって「元気です」と言えない
□ つい怒りすぎて酷いことを言ってしまう
□ 今まで積み上げてきたキャリアがこぼれ落ちていくようで不安になる
□ 産休に入って突然やることがなくなり、何をしていいかわからない
□ 体型が戻るのか心配で女性として自信が持てない
□ 尿漏れなどのマイナートラブルが発生して、自尊心が傷ついている
1つだけでなく、「あるある!」と思わずうなずいてしまった方も多いはず。こんなことを感じたり考えたりした経験が、妊娠後期のみなさんならおありかと思います。
言い始めるときりがないくらい、心も体もぐちゃぐちゃ。日常のありとあらゆることでいちいち心が反応します。
しかも、以前なら多少イライラ・落ち込みがあっても、気分転換や休息でどうにかなっていたのに、妊娠中は食事や行動が制限されるから、それすらままならなくなります。例え少し気分転換できても、次から次へとにイライラや落ち込みや不安が押し寄せてくるから気持ちの処理が追い付かない!なんてことも…。
後期は妊娠期間中でもっとも情緒不安定になりやすい
妊娠中はホルモンバランスが崩れて情緒不安定になりやすい、ということはよく知られています。
「プレグナンシーブルー」「マタニティブルー」「産前産後うつ」といった言葉を聞いたことのある方も多いのではないでしょうか。
これらはすべて産前産後に起きる情緒不安定に関係する言葉で、女性ホルモンの影響を強く受けると言われています。一言で情緒不安定と言っても、あらわれ方は人それぞれです。
□ 好きだったものに興味関心が持てなくなる
□ 喜びや楽しさを感じにくい。人に共感しにくい
□ 眠れない
□ 自分には価値がないと感じる
□ どうせ自分がいけないんだと思う
□ 考えがまとまりづらく、物事の整理がつかない
□ 集中力や記憶力が落ちる
□ カッとなりやすい
実はこのような状態は、程度の違いはあれど妊娠中ずっと続きますが、特に妊娠後期は強く感じやすい傾向があります。
出産直後もマタニティブルーと言われる情緒不安定な時期はあります。しかし複数の研究によれば、妊娠後期の方がマタニティブルーの時期よりも情緒不安定なのです。
心が揺れ動くのは当然。出産前の準備運動だと思って
妊娠中の体は、無事に出産するための準備をすることが優先されます。ですから、心を安定させるためのシステム(ホルモンバランスや良質な睡眠など)は、どうしても後回しになってしまうようです。
言い換えると、妊娠中にイライラしたり落ち込んだりするのはごく当たりまえの現象なのです。感情だけでなく、思考力や集中力が落ちるのも当然だと言えます。そんな自然の現象に対抗する必要はありません。
私たちは「トイレに行きたいな」と思ったら、行けるときにトイレに行きますよね?「こんなときにトイレに行きたくなる私はどうかしている!こんなの私じゃない!」とは考えませんよね?妊娠中のイライラや落ち込みは、無事に赤ちゃんを生むための準備期間に起きる、当然のステップなのです。
この時期をどう乗りきるか
情緒不安定になるのが当然とはいえ、ただ時が過ぎるのを待つのもつらいし、何かできることがあるなら試したいという方へ、臨床心理学のひとつの考え方をお伝えしましょう。
臨床心理学では、心に負荷がかかったとしても回復する力・防御する力を、「レジリエンス」といいます。そしてピンチを経験し乗り越えることは、その人のレジリエンスを高め、人として成長する絶好の機会であると考えます。妊娠出産は、まさにレジリエンスを高めるゴールデンタイムだと言えるでしょう。
だから、この時期にしかできないことをしてみてはいかがでしょうか。これからの育児や生活で情緒不安定になることは多々あるでしょうが、妊娠出産ほど、堂々と情緒不安定になれる時期はありません。こういう時期だからこそ、後々のために自分や周囲を観察し、記録しておくことができるかもしれません。
□ 情緒不安定になると自分はどんな行動をとりやすくなるのか
□ パートナーに何をしてもらえると楽だったか
□ 口には出せなかったけれど、周囲の人に何をしてほしかったか
□ ちょっとでもリフレッシュできたことは何か
例えばこんなことを記録しておくと、後で身近な人に「実はあの時○○をしてほしかったの」「最近眠れていないから、不機嫌なことが多いと思うんだけどごめんね」などと伝える材料にできますね。
こうして集めた材料の活かし方は、次回ご紹介します。
【妊娠中の揺れに関する記事】
【文献】
岩元澄子・中村美希・山下洋・吉田敬子(2010).妊産婦の状況と抑うつ状態との関連.保健医療科学,59(1),51-59.
片岡千雅子・佐藤喜根子・佐々木富士子,他(2000).妊婦・分娩・産褥期における婦人の気分・感情状態の経時的変化 - POMS(Profile of Mood States)を用いた質問紙による把握 -.母性衛生,41(1), 85-94.
長川トミエ(2001).妊婦・褥婦の気分・感情の状態の変化とその関連性 : POMS 尺度を用いて.山口県立大学看護学部紀要,5,11-17.
渋井佳代(2005).女性の睡眠とホルモン.バイオメカニズム学会誌,29(4),205-209.
津田茂子・田中芳幸・津田彰(2004).妊娠後期における妊婦の心理的健康感と出産後のマタニティブルーズとの関連性.行動医学研究,10(2),81-92.
湯舟邦子(2015).妊娠初期,中期,末期から産後1か月までの抑うつ状態のスクリーニングの検討.昭和学士会誌,75(4).465-473.