それからはあっという間だった。
時間の感覚は消え、何度観ても理解できなかったインターステラーのあの4次元の原理を(未だ説明できないけれど)体感した。
本気で死ぬと思ったけれど、
気がつけば夜は明けていた。
わたしはまだ生きていて、
そして、娘は生まれてきた。
それが一年前。
胸にのせられ、感じたあの温もり、軽すぎる重さ、小さすぎる大きさ、
昨日のことのようでもあるし、ものすごく遠い日のことようでもある。
いまは目の前のことに精いっぱいで、後ろを振り返る暇などないけれど、それ以前の、身軽で自由で、思った通り、したいことをして生きていた自分を羨ましく思うときもある。
けれど、いまはもう娘がいない人生など考えられない。
娘のことが愛おしくてたまらない。
かわいくてかわいくて仕方がない娘との毎日は、しかしもちろん楽しいことばかりではない。
出産前になると最大1000倍まで上昇する女性ホルモンの値は、出産後になると閉経レベルにまで急降下するというのだから、精神的に不安定にならないわけはないわけで、
某ママ雑誌の編集をしている友人の話によると、産後はそこに鬱の二大リスクと言われる環境の変化と過労が加わり、個人差はあるにせよ精神的にも肉体的にもけっこうな極限状態になるのは当然のことなのだという。
赤ちゃんのお世話を頑張れば頑張るほど孤独になって、
どんなに頑張っても母親ならやって当たり前だと判断される育児についての評価をもらう機会なんて、まあなくて、
「おつかれさま」のひと言をかけてもらうことさえない日なんてざらだけど、
我が子にとってはもちろん、自分の人生にとっても、それはかけがえのない貴重な時間であることに間違いない。
そして、あるときふと、娘のために頑張っていた自分が、娘のおかげで頑張れているということに気づく。
妊娠、出産、子育てって、
思い通りにならないことを受け入れる機会でもあるのかもな、と思う。
外回転術の前に逆子が治ったとき、願った通りになったとよろこんだけど、すべてが思った通りになるわけなんてなくて、
妊娠中も、出産も、その後の育児も、そもそも妊娠すること自体、自分の意のままにできることなんてないわけで、
無事に、そして願わくば健康に産まれてきてくれるなら、帝王切開だろうと、普通分娩だろうと、無痛分娩だろうと、計画分娩だろうと、きっとどんな手段でも要はよくて、
スリランカの占い師さんのいう運命がわたしたちひとり一人に定められているのだとしたら、その選択や判断も含めて、運命なのだと、そんなふうに思った。
これから先、なにが起こるかわからないし、どんな運命が待ち受けているのかもわからない。
けど、この子がいる限り、わたしは屈しないし、倒れないし、揺るがないし、諦めない。
つづく
■この日のBABY365
■赤ちゃんとの日々は毎日がたからもの
赤ちゃんと過ごす日々は、たからもののような瞬間の連続です。
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Profile 【著者】堀川 静
フリーランスライター。「Hanako」や「BRUTUS」などの雑誌を中心に広報誌や地方自治体のブックレット、WEBマガジンやコーポレートサイトなど、幅広いジャンルの媒体で執筆。2018年9月に第一子となる女の子を出産。現在、育児と仕事の両立を模索中。